移住の決め手/死ぬときにやっておけばよかったって思っても遅い

沖縄移住。そのきっかけといきさつ。

 

移住のきっかけ

 

移住するって簡単に言っても…
まず、住むところがない。

 

仕事もない。

 

親戚も友達もいない。

 

 

そんなところに

 

どういうきっかけで移住することになったの??

 

 

ここなら住んでもいいかも、と思った。

 

本当に単純ですが、旅行がきっかけです。

 

青い空と青い海を見ているうちに、

 

ここなら自然体で生きていける気がする、

 

住んでもいいかもと思いました。

 

旅行に来た当時は

 

私たち夫婦にとって非常に難しい時期でした。

 

夫は自信を無くし、私たちは疲れ果てていました。

 

 

2年前、初めて沖縄を訪れた時のこと。

 

私たちはとある福祉関係の仕事をするために京都に住んでいました。

 

 

関東で知り合い、数年同棲した後入籍。

 

そのころ夫が福祉関係事業の立ち上げに誘われました。

 

 

気の置けない友人の紹介ということもあり

 

声をかけてくれた事業主たちのことを心底信用していました。

 

 

結婚式もバタバタと済ませ、夢いっぱいで京都へ引っ越し。

 

事業の関係者の方々や、施設のスタッフさんと

 

それは意気揚々と事業をスタートさせました。

 

 

ところが、

 

開業してまもなく、信用を置いていた事業主から

 

労働契約の変更を一方的に迫られたのです。

 

 

来月から13万円の減給!!サインできなければ…

 

開業後、一か月経った頃、信頼していた事業主から

 

翌月から約13万円の減給を言い渡され、

 

夫に与えられていた役職もはく奪すると言うのです。

 

 

「新しい契約書に署名できなければ…その時は…まあ考えて」

 

あまりにも一方的な契約の変更に

 

私たちは戸惑い、到底受け入れられない旨を伝えると

 

 

事業主側の態度が一変、

 

感情的に契約の変更を迫ってくるようになりました

 

施設内で相談すると

 

施設内の他のスタッフにも

 

このような変更を迫っていることが発覚。

 

 

若かった私たちはとても不安でした。

 

「何か悪いことをしたんじゃないのか」と自分たちを顧みたりもしました。

 

手も足も出なくなった私たちは

 

労働基準監督署へ相談し、労働組合へも相談し、

 

弁護士にも相談に行きました。

 

 

相談の回答はすべて、

 

事業主側による不当な契約変更という結果。

 

 

信用していた事業主たちがなぜ…

 

私たちは、事業主たちの態度があまりにも

 

コロッと変わってしまったことにショックを隠せませんでした。

 

 

親や兄弟のように彼らを信用して

 

京都へ引っ越してきたのに…

 

 

人数も少なく、とても小さい事業でしたから

 

ここで踏ん張っても、信用できない人たちと働くのは

 

先が見えていると判断した私たちは

 

施設を退職することにしました。

 

 

止まらない嫌がらせ

 

退職したわたしたちは、市内の別の場所に引っ越しました。

 

当時住んでいた自宅が、施設とあまりにも近く

 

事業主たちの敵意を感じながら

 

暮していく自信がなかったのです。

 

退職、引っ越ししたあとも

 

事業主たちから嫌がらせが続きました。

 

 

始末書を提出しろという速達が何度も来るのです。

 

お前たちの非を認めろ!という圧力でした。

 

弁護士に相談しても非は見当たらず

 

退職もしているので提出する義理など無いのに…

 

私は毎日鳴るインターホンに恐怖を感じ

 

ノイローゼになってしまいました。

 

 

こちら側が弁護士に相談をしている旨を返送すると

 

速達の嫌がらせはなくなりました。

 

 

今しかできないことをしよう

 

二人そろって無職。

 

減っていく貯金。

 

すっかり自信を無くした夫。

 

友達もいない。親戚もいない。

 

 

わたしは不安でした。

 

これからどうなるんだろう。

 

 

仕事を探したり、

 

日雇いのバイトに行ったりしました。

 

 

工場でのアルバイトは

 

わたしにとって悪夢でした。

 

 

早朝、集合場所に集められ、

 

バスに乗せられ遠くの工場へ連れていかれる。

 

見知らぬ人々とともに

 

ベルトコンベアーに乗って

 

際限なく流れてくる製品を箱詰めする…

 

 

それを8時間。私にとって地獄でした。

 

ちっぽけな歯車になったような、

 

さみしくて、悲しい気持ちでした。

 

 

帰宅すれば、意気消沈した夫。

 

京都に引っ越してきたときはあんなに

 

意気揚々と、キラキラ輝いていた夫。

 

 

元気を出さなくちゃ。

 

わたしは思いました。

 

 

今しかできないことをやろう。

 

二人そろって無職なんだから、毎日、日曜日。

 

新婚旅行もしていなかったわたしたち。

 

 

「沖縄でもいこっかー!」

 

こうして私たちは沖縄へ

 

憂さ晴らしの旅行に行くことにしたのです。

 

 

自然体で生きていきたい

 

初めての沖縄は、本当に素晴らしかった!

 

裏切られて、自信を無くしたわたしたち夫婦にとって

 

美しい海と空は、たっぷりと心を洗ってくれました。

 

 

那覇の都心部は都会的で、

 

北部のやまやまは荒々しい緑。

 

触れ合う人々はみな自然体で、

 

話しかければ仕事そっちのけでおしゃべりしてくれました。

 

きれいなビーチの上を

 

米軍の戦闘機が飛んでいく考えさせられる風景。

 

沖縄戦や戦後の悲しい歴史や

 

澄んだ瞳の子供たち。

 

 

平和と戦争。都会と自然。

 

相反する景色の中でどこまでも自然体な人たち。

 

 

不安と不信の中での数か月を過ごしたわたしたちは

 

一気に沖縄が大好きになりました。

 

 

いつかこの場所で住んでみたい!という

 

新しい夢ができたことで、私たちはまた

 

やり直せる元気をもつことができました。

 

 

それから約一年半。新しい仕事で一生懸命に働きました。

 

ある時、沖縄のある自治体で

 

移住推進の制度を使い、移住者を募集しているのを見つけました。

 

夫は即、応募。

 

ご縁あって採用が決まり、年度が替わるタイミングで

 

ふたりで沖縄へ引っ越してきました。

 

 

死ぬときに後悔はしたくない

 

思い切ったね〜と、周囲からは言われます。

 

応援してくれる人もいれば(大半が応援してくれましたが)

 

考え直しなよ、という人もいました。

 

「いい歳して、夢ばかり追ってないで」

 

「いい加減、落ち着いたら?」

 

こういった言葉、盛り上がっているときに言われると、

 

結構こたえますよね。汗

 

だけど!

 

死ぬときに後悔したくないと思いませんか。

 

あの時、ああしていればよかった、って

 

思いたくないって、思いませんか。

 

 

70%の高齢者が、後悔していることが

 

「チャレンジしなかったこと」だというのは有名な話ですよね。

 

 

怖いから、不安だから、と無難な選択を続けるということは

 

「チャレンジしなかった記憶」を積み重ねていることになります。

 

わたしたちは、おじいちゃんおばあちゃんになったときに

 

あの時、沖縄に行っておけばよかった…って思いたくない!

 

とう思ったのです。

 

 

今、沖縄に来て半年経ちます。

 

勿論、すべて順風満帆、何の問題もないよ!とまではいきませんでしたよ。

 

でも

 

青い空と海を見るたびに、美しい夕焼けを見るたびに、

 

海の中できれいな魚を見るたびに

 

来てよかったなあと思います。

 

 

満員電車がないのが本当にうれしいです。

 

アフィリエイトもそんな気持ちで始めました。

 

あの時、挑戦しておけば…と後悔したくない!

 

 

やってみないとわからない!

 

という気持ちで始めました。

 

それに挑戦するには、

 

沖縄移住ほどハードルが高くありませんでしたよ。

 

 

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